その116

朝までぐっすりと眠る。良く眠った感覚が残っている。久しぶりにわたしのいびきを聞いたとのらさんが言う。

起きる。曇り空。雨は止んでいる。葛根湯を飲む。ほとんどのハイカーが起きていて小屋は人でいっぱい。管理人のおばさんがランプのない薄暗い台所でやかんに入った煮出しコーヒーを火にかけ、パンケーキをフライパンで焼いている。薄暗い室内で味の濃いコーヒーと、小さくてかわいいパンケーキを三枚頂く。はちどりが羽根を細かく動かして空中で止まっている。

小屋の近くの池で顔を洗う。水は澄んでいる。手を浸すと温もりを感じるほどの温度。

テントをたたむ。湿っているが、びしょびしょではない。ハイカーが使うようにとポーチに大量の水が用意されている。必要な量をもらう。

歩く。昨日のだるさはなく、体が軽い。しばらくすると、朝食がいつもより少なかったせいか水を飲み足りなかったせいか、ふらふらになって平衡感覚がなくなる。座ってクラッカーを食べ、水を飲む。さらにビタミンの錠剤を水に溶かして飲む。

トレイル脇にクーラー箱がある。ハイカーたちがビールを飲んでいて朝からごきげん。小さなオレンジを食べ、甘い炭酸水を二人で一本を分け合って飲む。ハイカーからビールを二口ほどもらう。

わたしは元気が出てすたすたと調子よく歩く。「ビールをちょっとだけ飲んだのが効いたのかも。着付け薬にはあのぐらいが丁度いい」

地面からむき出しの木の根や岩の上を歩く。濡れていてつるつるとよく滑る。「どうしてこんなに木の根がむき出しなんだろう。ハイカーが地面をすり減らしたからだろうか」とのらさんが言う。

雨がぱらぱらと降っては止み、降っては止む。木々が雨を防いでいて濡れない。太い木の下に座り、薄平パンにたっぷりの落花生バターを塗って食べる。容器に残った落花生バターを舐める。

蚊がつきまとう。蚊は服の上からでも刺すし、歩いている最中にも肩や首や腕に止まって刺してくる。

両脇に木や草が生い茂る狭い道を歩く。起伏はほとんどない。すたすたと、速い速度で歩く。山の中なのにこれほど平べったい道は珍しいくらいである。尾根でも沢でもない、ただ森の中の道。

小屋に立ち寄り、便所で出す。便所の扉を閉めると中は真っ暗で、何も見えない。

車道に出る。車道沿いの古い家に立ち寄る。ここの家の人がクッキーを焼いてくれていてハイカーに振舞ってくれている。家の前の芝生にハイカーたちが座り込んで休んでいる。庭にはりんごの木やブルーベリーの木がある。ここの家の人はそろそろ歩くのもおぼつかない感じのお婆さん。チョコレートが入った柔らかいクッキーをもらう。ゆで卵もあるが食べない。ファンガイ君が四つ食べる。

トレイルに戻る。すたすたの調子を保ったまま歩く。岩に掛けた足がずるっと滑って体勢を崩し、尻と両手をつく。これまで何度も何度も転びそうになったが、転んだのは初めて。

空はどんより、木々の生い茂る狭い森のなかはほとんど暗闇。真っ黄色の葉っぱが地面にたくさんおちていて目がまぶしい。

今日はずっとすたすたと歩く。「すたすた歩くのもいいけど、何も見てない気がする。何も残ってない」とのらさん。

小屋に着く。キャンプをしに来た若者たちがたくさんいて賑やか。わたしたちとその他何人かのハイカーたちは、隅の方に静かにテントを張る。テントの入り口を開放して風を通す。

葛根湯を飲む。ミンチ豚肉入りじゃがいも、ゆかり味のとうもろこし粥を食べる。とうもろこし粥は温かくてほっとする味。つい先ほどまでまとわりついてきていた蚊がまったくいなくなる。蚊が我慢できないところまで気温が下がったということか。

沢の水で手と顔を洗う。テントに入って寝る準備をし、寝袋に潜って日記を書く。今日も眠れるだけ眠るつもりである。