その114

夜が明ける頃に目覚める。のらさんがとなりでぐっすり眠っているので、しばらくの間わたしも横になっている。

起きる。外は曇っていて涼しい。蚊はいない。テントをたたんでいる最中に、人の血の匂いを嗅ぎつけた蚊が集まってくる。

しばらく歩くと辺り一帯が針葉樹から広葉樹に変わる。広葉樹林帯の方が蚊が少ないのではと何の根拠もなく考え、休憩してナッツ棒を食べる。蚊が少しずつ増え、やがて大群になる。またしばらく歩いて舗装路に出る。森の中より蚊が少ないだろうと考えて荷物を降ろし、舗装路脇の芝生に座ってベーグルを食べる。蚊はあまり寄ってこない。「蚊が一気に増えたのは昨日の雨のせいだな。蚊は水がないと卵を産めないから」とのらさんが言う。そうなのか、とわたしはびっくりする。「夏に水たまりがあるとぼうふらが湧くでしょ。あれが蚊になるんだよ」とのらさんが教えてくれる。「おれは歩き終わったら図書館に行って子供向けの理科の本をたくさん読むぞ」とわたしは言う。

あまり湿っているようには見えない湿地帯の木道を渡る。舗装路に出たところにクーラー箱が置いてある。中に入っているビタミン水と水をもらう。

山を登り始める。ゆっくりと登る。山頂付近の大きな岩に腰をおろす。山と麓の景色を眺める。のらさんは薄平パンでチーズと落花生バターを巻いたもの、わたしは落花生バターだけを巻いたものを食べる。顔見知りのハイカーが次々とやって来て岩に腰掛けてわたしたちと少ししゃべってから、また去っていく。

山と山の間を走る舗装路沿いに、またクーラー箱がある。ルートビアと水と、とうもろこし粥をもらう。

蝿がわたしの耳の穴に飛び込こもうと繰り返し挑戦してくる。ちび黒虫がのらさんの目の中に、わたしの鼻の穴に飛び込んでくる。

のらさんと話をしながら歩く。今日のお題は「もし今居酒屋をやれと言われたらどんな居酒屋にするか?」というもの。「お酒は日本酒と焼酎を数銘柄ずつ、あとは瓶ビールだけを置く。席はカウンターのみ。食べ物は大鍋いっぱいの煮込み料理、おでん、カウンターには三種類くらいの日替わり惣菜を置く。あとは常温の切ってないトマト、アボカドとまぐろの漬け、ゆで卵、〆用にお稲荷と梅味のグリッツ。夜は10時には閉める。昼間の仕込み時間には、ポットに入った飲み放題のコーヒーとホットサンドと大判の柔らかいクッキーを用意して喫茶店にする。名前は『喫茶と呑み処アパラチア』にする。生ビールは出さないから入り口に大きく『生、ありません』と書いておく。たぶん儲けは出ない」というふうに決まる。わたしたちは今、必要な荷物だけを背負ってただ歩くという単純な生活をしている。そのせいか、非常にシンプルで無駄のない、働き手の面倒が少なそうな居酒屋が出来上がった。

坂を登る。沢の水はほとんど涸れており、あっても水たまりのように水が溜まっている程度。汲まない。山の低いところや、頂上あたりに澱んだ色の大きな池がある。この水も汲まない。小屋に着き、小屋の近くの水たまりから水を汲む。葉っぱや細かい木屑のようなものが浮いている。濾して飲むと冷たくておいしい。

森のなかを歩く。土は乾き、草や木の枝についている葉っぱが赤や黄色になっている。森全体が涸れているように見える。

小屋に着く。水場は涸れている。テントを張る。ぽつりぽつりと雨が降ってくる。しばらく雨宿り。のらさんは濡れティッシュで顔と体を拭く。

雨が止んでから外に出て、食事をつくる。気温がぐっと下がって肌寒い。蚊も減っただろうと思いきや相変わらずの大群。ツナ入りじゃがいも、乾燥トマトと揚げ玉ねぎ入りのまろやか鶏だし味のご飯を食べる。ウイスキーを舐める。煎った枝豆を食べる。他にたんぱく質のものをあまり持っていない。たくさん食べる。

また雨が降ってくる。雨が降っている最中も蚊はいなくならない。食糧袋を熊よけの金属箱に入れる。テント内の蚊を殺す。テントに一回出入りするごとに、少なくとも五匹ほどの蚊が一緒にテントの中に入ってくる。

体にダニがくっついていないか調べる。のらさんの体は虫刺されとあせもで赤いぼつぼつだらけ。

のらさんは横になってすぐに眠ってしまう。雨が徐々に強くなってくる。