その95

明るくなり始めた頃に起きる。のらさんが足を掻いたらダニがぽろりと取れる。指でぷっと潰すと赤い血が散った。写真でダニの種類を確認する。「すごいちっちゃい奴だから大丈夫。大きくて足の長いのは危険」

テントとテントの中に敷いているシートを干す。りんごシナモン味の麦粥を食べる。

岩の坂道を下る。コンクリートの道に出る。家が点々と並ぶ。郵便局の向かい、消防署のとなりにあるコインランドリーに入る。荷物をひろげ、異臭を放つ服と靴下を洗濯機に入れ、そのあとで乾燥機に入れる。さらに臭いのあるカッパや靴やビニール袋などを、コインランドリーの裏で天日干しにする。近くにある商店でのらさんはコーヒーとドーナツを、わたしはコーヒーを買う。コインランドリーの椅子に座り、コーヒーを飲み、深い息をつく。これだけでとても満ち足りた気分。コインランドリーは家族連れで賑わっている。

はす向かいにあったピザ屋は休み、商店のとなりにあったカフェも休み。商店でハムとチーズとレタスが挟まれたサンドイッチを買う。コインランドリーの外の椅子に座って食べる。硬いパンと、ハムとチーズの食感を味わいながら、よく噛んで食べる。水を飲む。便所で出す。

舗装路を歩き、山みちに戻る。山みちの入り口に、プラスチックの入れ物に入ったケーキが置いてある。クリームが半分溶けているようである。これは食べない。
「短かったけどコーヒーも飲めたしのんびりできたし、いい休息になったなあ」とわたし。「わたしは靴下を洗濯機に投げ込んだ時点でじゅうぶん満たされました」とのらさん。

山みちは岩の道。足下を見つつ岩を避けながら、伝いながら歩いていると、知らないあいだに山みちを外れていて全く違う方向に進んでいることに気づいて戻る、というのを3、4回繰り返す。そこで、たびたび立ち止まって目印を指差し確認することにする。「歩きながら顔を上げられない。ふたつの事を同時にはできない。あくびしながら何か噛もうったってそうはいかない」

服と靴下を洗濯をしたのに、まだ臭い匂いが漂う。ザックが臭っていることにはじめて気がつく。

大きな岩がごろごろ積み重なっているところを、手を使いながら慎重に越える。そのあとで道は平坦になり、土と砂利が混じった道、さらに土だけでたまに平たい岩が埋まっている道になる。前を向いて歩けるし、土の上は歩きやすいし、たまにある岩に足を乗せるとグリップが効いて具合が良い。すいすいと足が前に進む。「そういえばこれがトレイルというものだった。もう忘れてた」「岩ばっかりとは違うね。今までは主食と副菜が逆だったんだね」「たくわんばっかり食べてたんだ。ご飯がまったくない」

小屋に立ち寄る。小屋の裏には水道があって、蛇口をひねると簡単に水が手に入る。「浄水する必要もない。ホテルみたいなもんだ」とハイカーが言った。

森のなかを抜け、ぽっかりと広がる草むらに出る。牧草地や畑、山あいにぽつりぽつりと立つ家や教会の風景を見下ろす。草むらの隅にテントを張る。テントの中にダニがいないか確認する。

オリーブ油入りじゃがいも、乾燥野菜とひじきとミンチ豚肉入り白米をうどん汁の素、粉末味噌で味付けしたものを食べる。となりにうさぎがやって来て草を食べている。水道の水は鉄か、血の味がする。

暑くもなく、寒くもなく、心地よい風が吹く。しばらく草むらに座りこんで過ごす。風が涼しくなり、辺りが暗くなり始めてからテントの中に入る。寝る前にテントから出て町の明かりと、星の明かりを眺める。夜は森のなかで過ごすことが多く、星空を見上げるのは久しぶり。

夜がずいぶん更け、今まさに眠ろうとしているところに、山の上の方から賑やかな声と足音が近づいてくるのが聞こえてくる。のらさんがテントのすき間から覗いて「若者が6人くらい来た」と言う。ハイカーではなく、地元の人たちのようである。わたしたちは普段、なるべく舗装路から離れた山の中にテントを張るようにしている。今回もそうしたつもりが、おそらく地図にはのっていない舗装路が近くにあったようである。夜中の山の中でハイカーではない人間に出くわすのは、あまり良い気分ではない。若者たちはわたしたちのテントのすぐそばで、懐中電灯の光を撒き散らしながら大きなテントを立て、火をおこし、賑やかにしゃべる。わたしたちは眠らずにじっとしている。しばらくすると火を消し、テントをたたんで立ち去っていった。「なんのためにテントを立てたんだろう」とわたしは言う。彼らが立ち去ると、今度は男女二人組がやって来てぼそぼそとしゃべっている。ここは地元の人たちが星空と夜景を眺めにやってくるところのようであった。男女が話す声を聞きながら眠る。