その84

夜中、寒い。カッパを着る。汚れた靴下を履きたくないので、ウインドジャケットを足に巻いて寝る。夜が明けかかったころに目覚まし時計の音で起きる。テントをたたみ、黒砂糖と砂糖かえで味の麦粥を食べる。

歩く。小川の水を汲み、顔を洗う。勾配はないものの、大小さまざまな大きさの岩が半分土に埋まっていて歩きにくい道が長々と続く。岩を伝いながら、もしくは避けながら歩く。わたしは一昨日眠れなかったせいと、それ以前からの慢性的な寝不足のせいで体がだるく、力が入らない。「体調が第一だ。体調が良ければ道が悪くても問題はないのだ」このところわたしは同じ事ばかり言う。

大きな岩がせり出して崖のようになっているところから風景をのぞむ。ぽっかり浮かぶ雲の下には湖があり、湖のふちに沿って家が密集して立ち並んでいるのが見える。

急坂をくだり舗装路を歩く。新車が並ぶ自動車売り場、ガソリンスタンドを抜け高速道路をくぐると、湖のほとりの町の表通りに出る。どの建物も古く、空き店舗ばかりで人気のないさびれた町。

一階が酒場兼食堂、その上の階が宿泊施設になっているところで泊まる手続きをする。古くて大きい木造の建物で、ぎしぎしと音をさせながら暗い階段を登る。部屋は角部屋で床、じゅうたん、箪笥、机、椅子、ベッド、全てのものが古く汚れていてかび臭い。ドアはぴしっと閉まらず、窓にはすき間があり、床は斜めに傾いている。窓からうらびれた町や湖、そのほとりを通り過ぎる貨物列車が見える。昨日からたびたびすれ違うおじさんハイカーにここが気に入ったと言うと、ここはただ古いだけだと言いたげな表情をした。もうひとりのおじさんハイカーが「35年前にここに来たことがあるけど、まったく変わってない」と言った。

順番にシャワーを浴びる。のらさんは何軒かとなりにあるコインランドリーで洗濯をし、わたしはシャワー室で靴、靴の中敷、杖、帽子、洗うと色が出る長袖シャツを洗う。靴と杖は石鹸で洗ってもどぶか、げろのようなすえた臭いが取れない。バルコニーで干す。爪を切る。

インターネットで買い物をした荷物を受け取る。のらさんの靴、わたしの靴の中敷、化学繊維で出来たティーシャツ、ナイフ、膝バンド、ビタミン剤、キネシオテープ。

他のハイカーと共に送迎車に乗り込みスーパーマーケットに行く。四泊五日分の食糧と、今日食べるぶんのおやつを買う。おじさんハイカーの買い物がずいぶん少ないので何日分かと訊くとやはり四泊五日分だと言う。わたしたちのかごは食糧でいっぱいである。部屋に戻ってクッキーとパンを食べる。となりの部屋のハイカーが缶ビールを開けるぷすっ、という音がたびたび聞こえる。ずいぶんご機嫌な様子、にぎやかな話し声が聞こえる。

一階の食堂兼酒場に行く。ハイカーと地元の人たちが入り混じって食事をしたり、ビールを飲んだりお喋りをしたりしている。わたしたちもカウンターに座ってドラフトビールを飲む。なまずの揚げ物ととうもろこしの粉を丸めて揚げたもの、じゃがいもの揚げ物を食べる。ハイカーがジュークボックスで古い時代の音楽をかける(ジュークボックスといっても機械がレコードを持ち上げる式のものではなくて、画面に指で触れるだけで曲が選べるというもの)。酔ったハイカーはハイカーではなくただの外人のように見える。「この町は空気が止まってる。人気がないのに、公園や家の前にある花が異様にきれいに手入れされてる」とのらさん。「来ることがないから知らないだけで、世界じゅうにはこんな町がたくさんあるんだろうな」とわたし。

店を出て近くの商店に寄り、部屋に戻って薄揚げじゃがいもを食べる。窓を開け、扇風機をかけ、寝袋をお腹に掛けてベッドに横になる。暑くて寝苦しい夜。