その113

わたしの手に持っていたペグが人殺しに使われていて血で赤く染まっている。と思ったら突然わたしの前に人殺しがぬっと現れて、わたしはぎゃああと叫び声をあげて目覚めた。のらさんに頭を撫でてもらう。このまま眠ったらまた夢の続きを見そうだから、志ん生の二階ぞめきを聴きながら寝る。

夜が明けた頃に目覚める。まどろみながら雨がテントを打つ音を聴く。外に這い出て、テントをたたんでいるうちに雨が止む。何種類かのナッツを水飴で固めて棒状にしたものとベーグルを食べる。ビタミンや栄養がたくさん入っている錠剤を水に溶かして飲む。のらさんは森の中で穴を掘って出し、わたしは便所に出しに行く。

雨で濡れた岩場の道を歩く。肥料のような臭い匂い。体かザックが臭いのだと思っていたが、のらさんが「山全体が臭っているんだよ」と言う。雨に濡れると臭くなるのは体も山道具も森も一緒。

ざあざあと音をたてて山のなかを流れる川の水を汲む。川底が窪んでいてそこにたくさんの水が流れ込んでいるところが近くにあり、ふたりの若い男女のハイカーが下着姿になって岩の上から飛び込む。わたしたちに向かって「こっちに来い!」というのでわたしもパンツ一丁になって飛び込む。飛び込んだ瞬間、ものすごい爽快さが全身を貫くが、その次の瞬間にはあまりにも川の水が冷たくて体がひりひりと痛む。わたしは叫び声をあげ、早々に岸にあがる。

体を拭き、服を着て、歩きはじめる。濡れた岩場の急な下り坂を、手で岩をつかみながら慎重に下る。そのあとは下ったぶんを登り返す。

山の高いところに出て視界が開け、どこまでも続く低い森の大地を望む。山からごつごつと突き出ている岩に腰掛け、薄平パンでチーズと落花生バターを巻いたものを食べる。わたしは上半身裸になって汗でべったりの体を乾かす。のらさんも腹を出して乾かす。のらさんは自分の腹を見て、「脂肪が減って、しわしわになった皮だけが残った」と言う。

岩場で男たちが作業をしている。わたしの背丈の三倍くらいあるおおきな岩に、いくつかの木片を金属の棒で固定して、階段になるようにしている。出来上がっている階段を使ってみると、登るのがとても楽である。男たちは木片やポリタンクや大きなごみ箱のような容器を抱えて岩場をひょいひょいと駆けていく。

山を下る途中にあった舗装路の駐車場で、ポリタンクに入った水とビタミン水をもらう。水はよく冷えている。

今日の山は岩場の山。山全体がごつごつしていて激しい起伏が多く、トレイルの両脇には所狭しと緑が茂る。久しぶりに長々と続く岩場を歩き、わたしの足裏や足首やふくらはぎ、膝が痛みはじめる。

トレイルの近くを流れているという水を汲みに行くが、水は涸れている。座って休み、干しりんごを食べる。干しりんごの見た目は生麩のようで、噛むとこれも生麩をそのまま食べているような感じだが、しぶとく噛んでいるとだんだん水気が出てきて、しゃりしゃりとしたりんごの食感に変わっておいしい。
岩場の山を下りきって草原の道になり、向かいから歩いてきた人に「この辺に水はある?」と訊くと、「あそこの建物でもらえるよ」というので建物まで行く。建物の入り口でグリルを使って肉とパンを焼いている男性に声をかけ、水道の水をもらう。
草原を抜け、針葉樹の森に入ったところでテントを張る。針葉樹の落ち葉で地面はふかふか、落ち葉が夕焼けに染まって森全体が赤くみえる。テントを張り、食事の準備をするあいだに、尋常ではない数の蚊が集まってくる。たくさんの蚊が常に顔や体の周りを音をたてて飛び回っていて、どうあがいても逃れられない。のらさんは虫除け網をかぶってじっと耐えていたが、「わたしはもう無理です」とぽつりと言ってすっかり元気をなくしてしまう。潰したじゃがいもと、乾燥トマトと揚げ玉ねぎ入りのハーブとチーズ味ご飯を食べる。のらさんが食べているあいだ、わたしはのらさんを扇いで蚊を遠ざけ、わたしが食べているあいだにのらさんが扇ぐ。気をつけないと、蚊も一緒に食べてしまいそうである。
早々にテントのなかに潜り込み、一緒に入ってきた蚊を全部殺す。のらさんは最近寝不足気味だが、今日は早い時間からすうすうと寝息をたてる。