その107

夜中、目覚める。車のエンジン音と、人が騒ぐ声が聞こえる。志ん生を流して眠り、また目覚め、また志ん生を流す。涼しくなり、寝袋のなかに入る。のらさんは入らない。

夜が明ける頃に起きる。テントの中で栄養いっぱいのチョコレート菓子を食べる。テントをたたむ。

濡れている雑巾や靴下をザックに括り付け、歩き始める。

雲ひとつない青空。日差しの強さ、むっとした空気を感じない。汗をかかない。水を欲しないのであまり飲まないが、だからと言って飲まないのは良くないと思って飲む。

汲もうとしていた沢の水は涸れている。その後に出てきた無人小屋の脇にあるポンプで水を汲む。ソーフリー君がひとりでテントを片付けている。一緒に歩いていた彼女はどうしたのと訊くとツタウルシで肌がかぶれて歩くのをやめたとのこと。

急坂になり、どっと汗が噴き出す。わたしの紺色のティーシャツには汗で白い模様が描かれる。

広い車道に出る。しばらく車道沿いに歩く。ピザ屋と商店が並んでいる右手に四角い平屋の建物が見えてくる。商店とピザ屋の看板がある。

まずはピザ屋に入る。中年の小太りの男性が厨房のなかを駆け回っている。彼はひとりで注文を受け、電話を取り、ピザを焼いている。わたしたちはメニューを指差してこれはどんなピザか?といちいち訊く。彼は忙しくピザ窯を往復しつつ丁寧に教えてくれる。
サラミとソーセージとマッシュルーム、玉ねぎ、ピーマンがのっているピザを頼む。中くらいのサイズのものを分け合って食べる。のらさんは甘い炭酸水を、わたしはビタミン水を飲む。

となりの売店に移動。のらさんがずっしりと重いパウンドケーキのようなものを食べる。ケーキの半分が砂糖でじゃりじゃりしていて、だから重い。わたしも少しだけもらう。コーヒーを飲む。建物の外に付いている蛇口からペットボトルに水を詰める。

建物の前ではハイカーが寝そべっていたりお喋りをしたり。裏手にも芝生に座ってビールを飲んでいるハイカーが何人かいる。

舗装路を引き返し、山に戻る。わたしはたびたび立ち止まって水をがぶがぶ飲む。のらさんはあまり飲まない。

のらさんと音楽の話。わたしたちは歩いている間に音楽を聴くことはない。しかし、それぞれの頭のなかで音楽が鳴っていることはよくある。「普段どんな音楽が頭のなかで流れてる?」「子供のころに流れてた懐メロが多い。聖子ちゃんとか。昔、歌謡曲とか演歌とかが一緒くたに流れてた音楽番組があって、その頃の曲のメロディが断片的に出てきて、その前後を頭のなかで広げていく感じ」「頭のなかに仕舞われていたメロディが、歩いてる振動で出てきてるのかな。振動で頭の引き出しががたがた開くみたいな」

向こうからやってきた軽装の中年ハイカーが、これから家に帰るから、と言って持っている水をぜんぶくれる。京都に行ったことがある、北海道に行きたい、九州に行きたい、と言った。

ちょろちょろと流れる沢沿いを七面鳥の親子連れが歩いていく。親が一匹、子どもが三匹。「みんな地味な模様だから、雌ばかりだ。お父さんだけいない」とのらさん。

小屋の脇にあるテント場に着く。テントを張る。ポンプの水で顔と足を洗う。のらさんは手ぬぐいを濡らして体を拭く。

湯を沸かす。アルコールストーブの下にあった枯れ葉に火がついて、炎が鍋を包む。ストーブに入っていたアルコールがあっという間になくなってしまう。サラミ入りじゃがいも、メキシコ味のご飯を食べる。昼間あまり水を飲まなかったのらさんが、食べているそばから大量の水を飲む。ビタミン粉末を水に溶かしたものも飲む。たくさん飲んだあとで便所に出しにいき、また水を汲みにいく。

涼しい風が吹く。蚊はあまりいない。わたしは外で立ったまま日記を書く。蚊に好かれるのらさんは先にテントの中に入って休む。