その94

夜中、目覚める。気持ちが悪く、少し吐きそうである。これは昨日砂糖を摂りすぎたせい。志ん生のしじみ売り、富久。

明るくなってから目覚める。のらさんは栄養いっぱいのチョコレート菓子を、わたしは砂糖を控え、薄平パンにチーズを巻いて食べる。濡れているテントをたたみ、濡れている靴下と靴を履く。昨日から少しも乾いていない。歩くとじゅぶじゅぶと音がする。昨日雨に濡れた物たちが一気に臭いを放ちはじめている。いちいち服や道具の臭いを嗅ぎ、どれがどのような臭いを発しているかを確認する。

山肌に沿って歩く。右手に町とセメント工場のような建物を横目で見下ろしながら、左手にはラズベリーの実がなっていてそれを摘み、食べながら進む。穴を掘って出す。

山は平たくなり、草木がなくなり、一帯が岩だらけのところに出る。電波塔が立ちならんでいる。電波塔の脇を通る砂利道をしばらく下ってから、トレイルを示す白い目印が見つからなくなり、さらに砂利道もあやふやになって道を間違えたことに気づく。砂利道はトレイルではなく、電波塔を作る時に使われた古い作業道だったようである。来た道を登り返す。だいぶ歩いてから、やっとトレイルの目印を見つける。普通なら見逃さない印だが、地面が岩だらけで足元ばかりを見ながら歩いていたせいで見逃したのだ。わたしは一日中歩いて過ごしているにもかかわらず、道を間違えるなどして無駄に歩くことが大嫌いである。愚痴をこぼそうとするとのらさんが「さあさあ、切り返していこう!」と明るく振る舞うので、のらさんはえらいと感心する。

暗い森の中を歩く。両脇の草を刈りながら歩いている人とすれ違う。木々のあいだから日が射しているところを見つけて、そこで荷物を広げ、靴と靴下、テント、カッパなどを干す。薄平パンにチーズと落花生バターを巻いて食べる。濡れたままの靴を履き続けている足はふやけてしわしわになっている。のらさんのかかとの部分に貼ってあったテープが剥がれてしわが寄り、それが擦れてマメになりそうである。絆創膏を貼る。

岩が地面から顔を出している、ごつごつした道を進む。岩を伝いながら、または岩を避けながらテンポ良く歩く。岩は乾いていて滑らない。「濡れていないだけで全然違う」とのらさんが言う。

木にもたれかかって、若い女性ハイカーが眠っている。わたしはずっと足下を見ながら歩いていたので、突然視界の中に倒れている人間が入ってきてびっくりする。わたしたちがすぐ脇を通り過ぎても全く起きずに眠り続けている。わたしたちよりずっと速く歩いてずっと長く休むハイカーをわたしたちはうさぎさんと呼んでいるが、このハイカーは本当に物語に出てくるうさぎさんのように、木にもたれて眠りこけている。「なんて平和なところだ」とわたしは言う。

水を汲むために小屋に立ち寄る。水場は近くに三箇所ある。一つ目の、いちばん小屋に近いところは涸れている。二つ目の、しばらく山を下ったところは岩陰からちょろちょろと出ているもののとても汲めそうな量ではない。そこで三つ目を目指すが、いつまで山を下ってもそれらしい場所が出てこず、やがて舗装路に出る。舗装路沿いには点々と家が立ち並んでおり、どこが水場なのかさっぱり見当がつかない。水はあきらめ、情報の曖昧さに文句を言いつつ来た道を登り返すと、しばらく登ったところに三つ目の水場を示す小さな看板を見つける。また足下ばかりを見ながら歩いていたせいで看板を見逃した。大量の水が流れ込んでいる。水を汲み、顔を洗う。

テント場を探しながら歩く。
トレイルも、トレイルでないところも岩ばかりでテントを張る場所はありそうにない。「この山は石で出来ているのだ」とのらさん。きょろきょろと見回しながら歩くとつまづいて転びそうになるので、やっぱり足下を見ながら歩く。とにかくずっと下を見続けないと歩くのが難しい。岩ばかりか、そうでなければシダや、水気のある場所に生えそうな植物が密生している暗い森のなかを黙々と歩く。

突然、地面が平らで植物が生えていない空間がぽっかりと出てきて、そこにテントを張る。ペグがしっかりと地面に刺さる。これはこの岩山では奇跡的なこと。わたしは荷物の整理をし、のらさんが食事をつくる。アメリカ南部のスパイス、だしの素、オリーブ油、乾燥野菜と揚げ玉ねぎを入れた白米。クラッカー。ウイスキー。「今日は道を間違えてばかりで散々だった。けど最後の最後に良いテント場が見つかったから、終わりよければ全て良しだ」

食べている最中から辺りが暗くなり、風が強く吹いて気温が下がりはじめる。テントに入り、ふたりとも濡れテッシュで足を拭く。靴と靴下は普段は濡れないようテントの中にしまうが、猛烈に臭うのでテントの外に出したままにする。町が近く、車のエンジン音がいつまでも聞こえてくる。