その66

夜中目覚める。のらさんも目覚めている。鹿がすぐ近くでがさがさと音を立てていて眠れないと言う。志ん生を聴く。抜け雀。

薄暗いうちに起きる。テントの中でチョコレート菓子とチーズ。

しばらく歩いてからのらさんが穴を掘って出す。またしばらく歩いてからわたしも穴を掘って出す。

小屋で休憩し、その脇を流れる水を汲む。しばらく歩くと車道に出て、またひと山越えると車道に出る。

ご飯を食べようと荷物を降ろすと、ちょっと離れたところで黒いものが動いている。「あれは何だろうねえ」とわたしが間延びした声で言うと「あっ熊だ」とのらさん。言われてみると確かに熊。ハイカーと熊の話になると、たいてい皆「何度か見たことがあるよ」と言う。わたしたちはいつもふたりで賑やかなせいか、これまで熊と出会わず、今回が初めて。大きさは2メートルくらい、、わたしたちには気づいていないのかそれとも無視しているのか、何事もない感じでのそのそと動き、やがて見えなくなった。

白いパンに落花生バター。黄色いとうもろこしで作られた薄平パン。これは締め切った金物屋の空気が染み込んだような味。ここまで何でもうまいうまいと食べ続けてきたが、ここにきて初めて食べられないものに出会う。のらさんはなんとか食べられると言う。

歩く。強い風が吹く。遠くの山や集落が白く霞んでみえる。空も霞んでいる。

トレイルから少し外れた車道沿いの食料品店。食べ物と燃料用のアルコールを買う。店先の芝生で野菜汁と豆乳、のらさんはバナナマフィン、わたしは薄揚げじゃがいも。乾燥ソーセージ。ハイカーがビールを飲みながらウクレレを弾く。わたしはルートビアを飲む。ルートビアが砂糖で出来ているという事を知らなかった。これでまたお腹がぱんぱんにふくれあがる。「甘い炭酸水、砂糖たっぷりのあまあまパン、クッキー、アイスクリーム、ビールは食べないし飲まない。かわりに落花生バターと豆をたっぷり食べる」と宣言する。

足もとを見ながら歩いていてふと顔をあげると、むこうから熊がトレイルを歩いてくるのが目に入る。大きさは先ほどのと同じくらい。10メートルくらい離れたところで双方立ち止まって見つめ合う。やがて熊はだるそうな表情でのそのそと森のなかに入っていった。そのあとはこちらを見ることもなく、草をはむはむしている。人間の存在など気にも留めていない様子。

沢の水を汲む。辺り一面、木と地面が燃えた跡のなかを歩く。1カ月ほど前にここで火事があったことをニュースで聞いている。まだ木が焼けた匂いが漂っている。

焼け跡地の真ん中で食事の準備。地面はおが屑のようなものでいっぱいで、アルコールストーブに火をつけるとまわりのおが屑が燃え始めて白い煙が立つ。
白米にアメリカ南部味のスパイスを混ぜ、その上に照り焼き味のティラピアを乗せて食べる。コーヒーを飲む。地面においてあったすべてのものに黒い煤が付く。半分燃えかかった木にロープを掛けて引っ張ると、枝が折れてわたしの頭のうえに落ちる。その間にのらさんが焼け跡地にテントを張る。日が暮れてから強い風が吹く。たいていは風が吹いても木々の上のほうでざわざわするだけで地上あたりは無風、しかし今日は木々の間を抜けてくる風がテントに直接あたってテントがばさばさと音を立てる。