その57

暗いうちに起きる。夜が明けはじめ、辺りは霧で白い。懐中電灯が要らないくらいの明るさになった頃に出発する。
炎天の下を歩くのを避けるために朝のうちにたくさん歩き、昼間は日陰でゆっくり過ごそうという計画。

しばらく歩いてから休憩、栄養いっぱいのお菓子。このお菓子ひとつで満腹感。昨日からの、お腹の張りがなおらない。お腹はストライキ状態。

森の中を歩き、車道に出る。車道の向こうには雲海がひろがる。雲海と空の色が同じで境目がわからない。中空に山のてっぺんが浮かんでいる。

涼しい風が吹く。木々のあいだから陽の光が射し込む。トレイルにまたがる蜘蛛の糸が露できらきらと光っている。

わたしは体がだるく力が入らない。のらさんが水前寺清子の「イエローサブマリン」を歌いだした。それを聴いてわたしは体じゅうの力が緩みきって歩けなくなる。

簡易小屋で休む。麦粥と、半分にちぎった薄平パンにチーズを巻いて食べる。また満腹。

小屋の板の間に寝転がる。眠る。のらさんも眠る。となりで他のハイカーも眠る。20分ほどで起きると体ががちがち、でもだるさが取れてすっきりとした気分。

車道の下を流れる川の河原。夏の川の匂い。めだかほどの大きさの魚や蛇が泳いでいる。日が照るなか、パンツ姿で水のなかに入る。腰くらいの深さ。冷たい、寒くはない。白い泡のようなものが無数に浮かんでいてきれいな水には見えない。潜って全身の汗を流す。のらさんは手ぬぐいを濡らして体を拭き、髪を水に濡らす。ふたり並んで川に足を浸け、しばらくぼんやり。

歩く。足の裏の疲れが取れている。前を歩いていたパンケーキさんが突然背負っていた荷物を投げ出した。「ダニだ」と言う。ふくらはぎに、3ミリくらいの、丸くて黒い生き物がくっついている。ピンセットでつまみ取る。ダニの感染症にかかって歩くのを断念するハイカーもいる。これからはダニの季節。

手持ちの水が少なくなり、ちびちびと飲む。川で水を汲む。急坂を登る。のらさんの顔から汗が滴り落ちる。雷が鳴り、雨がぽつぽつと落ちてくる。急坂の途中で平らな場所を見つけてテントを張る。テントのなかで雨がやむのを待つ。のらさんがダニをみつける。つまみ出す。

食糧袋を吊るすロープを木に掛ける。わたしはこの作業にいまだ慣れていない。
まずは引っ掛けるのに適当な木を探す。適当な木というのは、程よい高さに程よい太さの横枝があるもの。高すぎるとロープが届かない、細すぎると木がしなって掛けられない、太すぎると熊が登れてしまう。
適当な木を見つけたら、石を探す。森にはあまり石が落ちていない。
適度な大きさの石を見つけたら、それにロープをくくりつけ、目指す枝に掛かるように投げる。一回では掛からないから何度も投げる。投げた石は思い通りのところに飛ばないし、その間に紐が地面に落ちている枝に絡まる。わたしは毎日むかついている。
今日は投げた石が枝と枝のあいだに挟まって外せなくなる。角度を変えていくら引っ張っても取れないので諦めかけたが、最後に渾身の力を込めて引っ張ると枝が大きな音をたてて折れて、わたしの目の前にどさっと落ちた。

格闘しているあいだに、めしが出来上がっている。メキシコ味のスパイシーなご飯に乾燥トマトと揚げ玉ねぎ、それににんにくをスライスして入れると、なぜかインド味のご飯になる。すこしだけ食欲が戻る。大麦若葉汁を飲む。

小さな黒い虫がわたしたちの周りを飛び回っていて、眼鏡や服のなかまで入ってくる。体じゅうが痒くなる。日が暮れる前に寝袋に入る。